2/5(金) 朝礼のことば

高3の卒業試験も昨日で終わり、いよいよ別れの時が近づいてきました。2月は中3・高3の皆さんにとって、中学・高校の総仕上げと次に来る新しい生活のための準備の期間です。今の仲間と過ごす時間はもう2度とありません。この1カ月を大切に過ごしてください。

今月の学院のテーマは「愛」です。皆さんは「愛」についてどのように理解し、解釈しているでしょうか。私は毎年、2月のテーマ「愛」について話しをするためにいろいろ勉強します。そして、中学生や高校生にどう話せば、誤解なく伝わるのか...と考えます。本校はミッションスクールなので、聖書の中に「愛」について何と書いてあるかも調べてみました。そこには、「愛」とは、友のために命を惜しまず尽くしていくこと、困っている人を見て、言葉や口先だけでなく行いをもって誠実にかかわること、ねたまず・高ぶらず・誇らないこと、利益を求めないこと、愛には偽りがあってはならないことなどが述べられています。

そこで今日は、「隣人愛」について話したいと思います。聖書の中には次のような有名な話があります。これは宗教の時間にも聞いたことがある話だと思います。
 『あるユダヤ人が、旅の途中追いはぎに襲われ、半殺しの状態で道端に倒れていました。そこに同じユダヤ人の祭司が通りかかりましたが、その人を見ると、道の反対側を通って去って行きました。次にレビ人もやって来ましたが、その人を見ると、同じように道の反対側を通って去って行きました。ところが、次に来たサマリア人は、その人を見ると哀れに思い、近寄って傷を消毒し、包帯をして、ろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。そして翌日、宿屋の主人にお金を渡して「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りに私が払います。」と言いました。』

この話をよく理解するためには、登場した三人の関係を知る必要があります。最初に通ったユダヤ人の祭司は、神に仕える人で、困っている人がいたら、真っ先に救いの手を差しのべるべき人です。次に通ったレビ人も、神殿で門番と聖歌隊を兼ねる役職で、やはり神に仕える人です。最後のサマリア人とは、パレスチナのサマリア地方に住む人々のことを指します。この頃、ユダヤ人は、排他的で選民思想が強く、サマリア人を嫌い、軽蔑していました。

さて、思い出してください。追いはぎに襲われたのはユダヤ人です。本来なら、真っ先に追いはぎに襲われたユダヤ人を助けなければいけないのはユダヤ人の祭司で、その次がレビ人です。サマリア人にとってユダヤ人は、自分たちを軽蔑し、嫌っている人たちなので、本来は助けたくはない人です。しかし結局、追いはぎに襲われた人を助けたのはサマリア人でした。この話は、次のことを教えています。
 例え見ず知らずの人であっても、敵対する人であっても、その人が困っていたら、自ら進んで助けてあげること。つまり、「誰が自分の隣人なのか?」が問題なのではなく、「自ら進んで隣人となること」が、隣人愛の本質だというのです。このことから「隣人愛とは、自分以外の全ての人に対する愛である」ということができます。
 私は、隣人愛とは、他人の命を救うような仰々しいことだけではないと思います。例えば、自分の周りで嫌なことがあっても、周囲の人間や社会に対して怒りや憎しみをぶつけないこと。人の悪口を言ったり、罵ったりしないこと。弱い人間に対して、いじめや差別を行わないこと。そして出来れば、優しさや微笑をいつも絶やさないように努力すること。このように、周囲に対する「ほんの少しの思いやり」を持つだけでも立派な隣人愛だと思います。

殺伐としてストレスの多い現代社会の中では、このような「ほんの少しの隣人愛」を社会全体に浸透させることこそ、もっとも重要で大切なことだと思います。今月からは、この学校を優しさと微笑みの絶えない「思いやり」のある学校にしていきましょう。