1/21(金) 朝礼のことば

皆さんは、昨年のクリスマス祝いのキャンドルサービスで流れた曲の歌詞を覚えていますか。

「キリストの平和が私たちの心のすみずみにまでゆきわたりますように。」

私たちが平和について考えるとき、本当に実現させなければならないのは、「キリストの平和」ではないでしょうか。では、「キリストの平和」とは、いったいどんなことでしょう。それは、私たちが互いに愛することに他なりません。私たちが互いに愛し合うなら、そこに「キリストの平和」が実現します。以前、東日本大震災の復興支援ボランティアに参加した時、ある若者が次のような話をしてくれました。

「自分は、ボランティアを通して、多くの人と関わりができました。そして、ここに来て何よりもうれしかったことは、今の自分を必要としてくれる人がいたということです。」私はこの話を聞いたとき、ハッとさせられました。人は、知らない人と関わりを持つことで、他人への思いやりや優しさを身につけることができ、さらに自分自身をも見つめなおすことができるのではないでしょうか。そして、何よりも自分が誰かに必要とされていることに気づき、幸せな気持ちになれるのではないでしょうか。

毎日、何気なく暮らしている私たちは、日々の生活の中で「自分を必要としている人がいる」ことに気づかないことが多いと思います。家族とともにいるとき、学校で友達と一緒にいるとき、職場で、地域社会で、「あなたを必要としている人」がきっといるはずです。挨拶をしない人に対して文句を言う前に、自分の方からその人に笑顔で挨拶をしてみてはどうでしょう。きっとそこに小さな「キリストの平和」が実現すると思います。高3の生徒の皆さんはもうすぐ卒業です。この3年間、萩光塩学院で学んだキリスト教の精神を、これからはそれぞれの新しい場所で大いに発揮し、日々の生活を通して互いに愛し合い、小さな「キリストの平和」を積み重ねていってほしいと願っています。